RotaryClub of SAKURA 50th ANNIVERSARY


ご挨拶
佐倉ロータリークラブ
第50代会長 中村 慶太郎
佐倉ロータリークラブの創立50周年にあたり、ご協力をいただいた皆様に心より御礼申し上げます。
また、日頃より私どもの活動・運動につきまして、深いご理解とご協力を賜り厚く御礼を申し上げます。
本年度、佐倉ロータリークラブは創立50周年の節目を迎えることが出来ました。これもひとえに地域の皆様をはじめ行政、関係諸団体の皆様、そして創立以来50年もの長きにわたりロータリー活動に邁進してこられた多くの先輩諸氏のおかげであると佐倉ロータリークラブ会員を代表し深く感謝申し上げます。
本年、記念すべき節目において、これまで支えて下さったすべての皆様へ、日頃の感謝とこれからの歩みを「記念式典」に於いてお伝えすることとしていました。しかしながら、未曾有の新型ウイルスの影響により、地域も含め様々な制限を強いられる状況となり、縮小規模にての開催をしたこと、そして配信や記念誌にてのご報告となりましたこと、あらためてご理解頂ければと存じます。
佐倉ロータリークラブは、1971年10月に八千代ロータリークラブをスポンサーに仰ぎ、歴史と自然に恵まれた城下町の佐倉市では初めて、県内では41番目のクラブとして28名の会員と共に発足いたしました。
以降、職業における高い道徳基準を奨励し、人道的奉仕活動を行い、世界中で友好と平和を築くために熱い想いを持って運動を続けてまいりました。
昭和から平成、そして令和という新たな時代を迎える中、これまで築き上げた先輩方の歴史と誇りを享受し、運動のうねりを止めることなく次世代に継承し、新たな未来を創造していくことが我々の責務と考えます。
本年、「RESTART!!」をスローガンに掲げ、災害対応、コロナ禍で活動制限を余儀なくされた2019-20年度、2020-21年度との継続性を意識しつつ、「次の世代が活力に満ちて活動しやすい組織風土を醸成していく、新たなスタートの年に出来れば」と願い出発しました。しかしながら、コロナ渦において行動のみならず意識や価値観までもが制限され、どうしたらよいのか判断に迷うことも多々ありました。
そんな中でも、さまざまな職業やスキルをもつ会員達がアイデアを寄せ合い、責任を持って粘り強く行動する姿勢に、私自身『前に進もう!』という想いと強いエネルギーをいただきました。
50周年スローガン『「温故知新」~50年の伝統から、進む未来へ~』
█ 記念講演『命の授業』
講師の腰塚勇人先生は、自身が首から下が動かなくなるかもしれない大怪我から復活できたプロセスの中で、家族や生徒の応援がどれほど計り知れない力の源泉になったか!自身の経験を話すことで、周りの人にプラスエネルギーを与えらる人(ドリー夢メーカー)を増やしたいという想いで全国にて講演活動を継続して実施しております。
2021年9月緊急事態宣言下での開催を中止判断としましたが、多くの皆様からのご要望に伴い、2022年2月13日に佐倉市民音楽ホールにて再開催を決定し実施いたしました。
█ 記念事業『桜植樹・寄贈セレモニー』
以前から整備が進まなかった佐倉城址公園の整備を桜50本と防災対応釜戸ベンチ5セットを寄贈し、記念碑を建立することで後押しし、土塁と空堀を配置した多目的広場として、または防災拠点としての活用や大会開催時などの臨時駐車場としての活用が可能な「佐倉城大手門跡広場」が完成しました。
佐倉市の自然や文化について関心を高め、ひいては「自助」「共助」の力を向上させる取組として、郷土愛を育み、防災教育への関心を高める一助となった本事業では、数多くの皆様より、感謝や前向きなメッセージをいただくことが出来ました。
そして、会長幹事エレクト、ノミニー、今後数年以内には佐倉クラブを担うであろう若手会員を交え、佐倉クラブの活動方向性・指針を話し合い、その一部を記念誌に掲載させていただきました。
これから数年間は『子供たちの未来のために』をキーワードに社会奉仕活動を企画し、地域貢献・PRと共に実践し、更なる地域の活性化、クラブの成長に繋げていきたいと考えております。
いつの時代も我々はその時々において、取り組む内容は違えども、地域のため、そしてそこに住み暮らす人々のために運動を展開して参りました。会員一同さらに研鑽し、より良い仕事を通じた地域社会、国際社会に貢献する奉仕活動の輪を広げてまいります。
そして、次代を担う人材の育成、奉仕と交流の流れを明るい未来につなげていく努力を重ねていくことを、ここに御約束申し上げます。
結びになりますが、改めまして佐倉ロータリークラブへの50年間にわたる温かいご支援へ感謝を申し上げると共に、今後より一層のご理解とご支援ご協力を賜りますよう心よりお願い申し上げ、挨拶とさせていただきます。

ご挨拶
佐倉ロータリークラブ
創立50周年記念実行委員会
大会委員長 三橋 正幸
佐倉ロータリークラブが1971年10月2日に創立され、八千代ロータリークラブをスポンサークラブとして、同年10月14日に2790地区41番目のクラブとして認証されました。
特別代表の山本様の下、宮下初代会長また都築幹事さん達が八千代クラブ例会に出席して、ロータリーのいろはを学びながら認証書伝達式を迎えたと聞いております。例会場は千葉相互銀行(現京葉銀行)志津支店二階会議室で出張料理だったようです。会員数は28名で活動も活発で特に青少年交換に力を入れていたようです。

創立10周年記念を迎えて、ロータリー拡大に向けて四街道ロータリークラブを設立し、桜の木を佐倉城址公園の西側お堀後に植樹をしました。
創立15周年記念を迎えて、社会奉仕委員会の提唱による佐倉市内ボランティア慰労ボーリング大会を開始し、数多くの奉仕活動もしているこのようなクラブに誘われたのは40歳の時でした。それまで青年会議所の活動をしていましたが、卒業となりのんびりしていました。志津のメンバーから青年会議所の先輩の推薦で承認されたので、7月の第一例会に顔を出すように言われました。名前を呼ばれいきなり入会式が始まり胸にバッチを付けられました。ニコニコボックスに入会の喜びを表すように、お金を入れるように言われ入れました。
他にも色々あって何かと慌ただしかったように思われます。その頃のクラブの中は和やかな雰囲気で笑顔にあふれておりました。例会場は両総信用金庫佐倉支店二階会議室で会員数40人近くに成っていました。翌年に創立20周年を迎える事もあり、記念事業に佐倉市市政20周年記念で寄贈した花時計の痛みが激しいので、市庁舎前ソラー時計を寄贈する事になりました。創立25周年とゆう大きな節目となる行事には、新クラブの拡大、会員の増強、記念講演に佐倉が全国に誇る長嶋選手が読売ジャイアンツの監督を努めており、同級生がメンバーにいた事から「そのつてをたよりに開催しよう」と盛り上がりを見せていました。
私がクラブ幹事を務めた1995-96年度に、佐倉西ロータリークラブ(現佐倉中央ロータリークラブ)を親クラブから一人も移籍することなく設立させました。25周年の年には会員数も59名と多くなり、会員の3年間の努力も実り、長嶋監督が来場し、盛大な記念式典が開催されました。
創立30周年の会長を務めた年にはバブル崩壊もあり会員数も46名と減りました。記念として公開例会をウィシュトンホテル・ユーカリで開催、職業奉仕委員会より佐倉市八街市酒々井町消防組合救急救命士合格者の表彰、佐倉警察署管内地域の安全に努力している職員の表彰、社会奉仕委員会より市内ボランティア団体の表彰、そして消防署職員による普通救命の講習を開催、この様子はケーブルネット296、千葉日報新聞、佐倉市広報に掲載されました。
その後、会員数も減り続け、会員拡大もなかなか進まず、ガバナー補佐の順番が来て引き受けた時には、会場もフランス料理シェ・ムラとこじんまりし、会員数も16名と成っていました。日本全体でも会員数が減少し、標準クラブ定款も大きく変わって四大奉仕部門から五大奉仕に変更になり、一業種1人から5人までと変わり、出席義務も緩和され、会員増強しやすい状況になり、佐倉でも影響力ある会員が入会しはじめ、少しずつ増えるように成りましたが、三十数年過ぎると私と近い年齢のメンバーがほとんど退会し寂しい限りです。
現在は「楽しいクラブになろう」という合言葉で50名になろうとしております。平均年齢も五十代前半と若くなりました。創立50周年に向けて若い会員を中心に、意見を取り入れ進めて参りました。コロナが蔓延し、緊急事態宣言の中、記念事業あるいは記念式典が開催できるのか不安が募り、実行委員会の頑張りによりここまでやっとこぎ着けました。
盛大な事は出来ませんが、皆様に祝福される事に感謝申し上げます。これからも佐倉ロータリークラブを宜しくお願いします。
ご挨拶
佐倉ロータリークラブ
創立50周年記念実行委員会
実行委員長 實川 正道
佐倉ロータリークラブ(以下、ロータリークラブ=RC)は1971年10月2日に八千代RCのスポンサーにより2790地区において41番目のクラブとして、当時の宮下寅之助初代会長のもと28名のメンバーで誕生致しました。初代会長宮下寅之助さんと幹事の都築勝雪さんお2人は、佐倉RC設立前は入会されて2~3年目の八千代RCのメンバーだったそうです。八千代RCが設立3年目に隣の佐倉市にロータリークラブがないので当時の会長が至上命令のような形でクラブの会員に発破をかけて創られたという歴史があるようです。

当時、佐倉市には既にライオンズクラブが出来ていて、新たに佐倉RCとして会員を集めるのはかなり大変だったようです。積極的に勧誘されて入会してみたものの、堅苦しい雰囲気に馴染めず、しばらくして辞めていった人も何人かいたようです。
創立7~8年頃には交換留学生の受け入れをクラブの柱の事業として勢力的に行った時期があり大変盛り上がった反面、行き過ぎた面もありお金がかかり過ぎて財政的にも苦労され、クラブ内でも夢中でやっている会員と冷ややかな目で見ている会員との間で調和がとれず、その頃が佐倉RCの第一次危機であったようです。
10周年の時には記念事業の一環として、四街道市に新クラブ結成に向けて動き出し、1982年6月2日に四街道RCが誕生しました。そして25周年を迎えた頃には60名近い会員数になり、25周年の記念対談では佐倉市出身で当時読売巨人軍監督の長嶋茂雄氏にお越しいただき、佐倉市在住の元日本テレビアナウンサーの福留功男氏に司会をお願いして、記念対談が盛会の中、開催されました。
そもそも長嶋監督とのご縁は、25周年の高橋佐一会長が長嶋監督とは高校、大学を通じて同じクラスメイトで昵懇の間柄であり、また山岡会員のご次男が昭和55年当時佐倉高校からピッチャーとして読売巨人軍に入団して以来、家族ぐるみのお付き合いをしていたという経緯があったそうです。
又、この25周年記念事業の一環として当時佐倉市の人口が16万人余りに達したという背景と、佐倉市にもう1つロータリークラブを創って25周年に更に弾みをつける為に新クラブ結成に取りかかり、1995年5月22日に佐倉西RC(現佐倉中央RC)が誕生致しました。
私が入会したのは2001-02年度の三橋正幸会長の時で、ちょうど30周年を迎えた年でした。当時メンバーは46名位だったと思います。例会場はJR佐倉南口のリッチタイムホテルで行っていました。入って間もない頃、その会場で初めて卓話をさせていただきました。
私自身、2011-12年度に会長をやらせていただきましたが、ちょうどその年が40周年目にあたる年であり、また2011年3月11日は東日本大震災が発生した年でもありました。
私の会長年度は会員数16名と非常に少なく、当時の地区の平均会員数は33名で地区内でも一番高い減少率でした。
40周年の主だった事業としましては、東日本大震災で被災された当時佐倉RCメンバーの津田会員がご住職を勤めております、福島県喜多方市の会津大仏で有名な願成寺へ被災された皆様方へのお見舞いと1日も早い復興を祈願して、2メートル以上ある会津大仏の仏像の光背の千体仏像のひとつを、新たに奉納させていただきました。
又、2012年度の地区協議会のホストクラブとして少数メンバーの佐倉RCではありましたが、多くの皆様方のご尽力により無事、務めさせていただく事が出来ました。
10年前と比べるとここ近年毎年少しずつ会員が増え、今では40名を超える人数となりました。平均年齢も大分若返ってきました。約3年前から50周年に向けて会員増強と合わせてチャレンジ50という委員会を立ち上げ50周年記念の開催と、会員数を50名にするという目標を掲げました。
その頃、千葉県では房総半島台風で甚大な災害をもたらし、ここ数年は世界各国がコロナ禍に見舞われ、緊急事態宣言などで例会開催もままならない事態にもかかわらず、ここまで増強が出来た事は会員各々の意識が50周年へ向け、更なる熱い気持ちをもって取り組んでくれた成果だと思います。
私自身、今日このように50周年を迎えられました事を大変嬉しく思います。実行委員会はじめ会員の皆様ならびに、これまで携わっていただいた多くの皆様方に心より厚く御礼申し上げます。
この50周年を機に、新たなスタートとして将来の100周年に向けて、佐倉RCの輝かしい歴史を刻んで参りたいと思います。
どうぞ、これからも変わらぬ皆様方のご指導、ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

佐倉市ともゆかりの深い、佐倉高校の前身である佐倉藩學門所は江戸時代、佐倉11万石の藩校として、寛政4年(1792)に藩主堀田正順公が、桜の木を植樹した佐倉城址公園大手門広場となりに設立した「学問所」に始まり文化2年(1805)には「温故堂」と改称しました。
天保4年(1833)「文武芸術の制」では、幼少より計画的に藩士の学芸促進を図りましたが、そのレベルは相当高く、これらが実って幕末、明治に活躍する多くの人材を輩出することに繋がったとも言われています。
佐倉ロータリークラブの50周年スローガンでもある「温故知新」は温故堂にちなみ、チャーターメンバーで第55代会長の故田中勘一氏が「25周年を迎えた佐倉クラブにとっては正にピッタリの言葉だと思います」と残した佐倉ロータリークラブの”伝統精神”を支える言葉であります。
「徳を成すこと、用を作すこと」
積極的に挑戦しようとする精神に富んだ、優れたロータリアンを輩出出来るように、この先100年、200年後も「故きを温ねて新しきを知る」。
『「温故知新」~50年の伝統から、進む未来へ~』 これからも佐倉ロータリークラブを宜しくお願い致します!!

No1
創立50周年「記念事業」
佐倉城址公園大手門広場『寄贈セレモニー』
「未来を創るための振り返り」と捉えて
地域ニーズに即した寄付・寄贈を実施しました。
2021/11/12 fri
名称:佐倉ロータリークラブ創立50周年記念事業
佐倉城址公園大手門広場「寄贈セレモニー」
日時:令和 3年11月12日(金) 11:00~12:00
会場:佐倉城址公園大手門広場
〒285-0017 佐倉市城内町277-9
内容:安全祈願、植樹式、除幕式
面積:約15,000㎡
寄贈:桜・50本(しだれ桜8本、染井吉野26本、寒緋桜6本、里桜10本)
防災ベンチ・5台((株)コトブキ社製 BB0011A-SM-H1-CK)
記念碑・1基
佐倉ロータリークラブ創立50周年記念事業「桜の植樹式」
296ニュース(2021年11月12日撮影・初回放送11月18日)
制作・著作:広域高速ネット二九六
佐倉城跡には、天守閣跡、空堀など城の遺構が多数残されているほか、樹齢約400年の「夫婦モッコク」(千葉県指定天然記念物)をはじめ、桜や牡丹、梅、菖蒲など四季折々の花が楽しめる場所として、多くの人が訪れ、歴史と自然を継承するシンボルとなっています。
佐倉城跡を「往時の規模がわかるように、大手門までの区域を城跡として復元すべきである」との意見も前々からありましたが、大手門付近は、市営住宅、県営住宅が置かれていたことから、なかなか話も進展せず整備も進みませんでした。
しかし、県営住宅が廃止・解体されたことにより、跡地を含めた一体利用の可能性を検討できる状況となりました。
そんな中、佐倉市から「佐倉城址公園内の大手門跡地に隣接する広場(約15.000㎡)を防災機能も備えた公園として整備する計画があるのだが」とのお話しをいただきました。
「市のシンボルでもある城址公園内の桜が老木ばかりになってきているので、将来的に桜まつりの開催も危惧している」とのこと・・・。
創立50周年記念事業の一環として、地域ニーズに即した事業を模索していた我々は、50周年に相応しいとの思いから「佐倉城址公園整備事業」を後押しするために、この広場に50本の桜を寄贈する決断に至りました。
我が国を象徴し、古来より親しまれ潤いと安らぎを与えてくれといわれる『桜の木』を植樹し、佐倉城の様子を彷彿できるような土塁と空堀を配置した憩いの広場として修景する事は、まさに50周年スローガンにふさわしい事業だと思います。
併せて、防災ベンチ等を寄贈して、災害発生時には物資供給拠点としての利便性の向上も図り、各種イベント・大会開催時などの臨時駐車場としても広く活用が可能な多目的広場は活用方法も広がります。
コロナが1日も早く終息して、子供たちからお年寄りまで、お弁当を持ってお花見に来てくれる、笑顔に華が咲くことを想像しただけでワクワクします・・・。
追伸:我が国では、毎年、地震や風水害など、多くの異常な自然現象が発生しており、これらの自然災害による被害を小さくする為には「自
助」「共助」「公助」の取組が重要です。
平成23年3月11日に発生した東日本大震災では、大規模広域災害における「公助」の限界が明らかになった一方で、「自助」「共
助」の重要性が再認識され、防災教育への関心が高まりました。
しかし、何から始めればよいかわからない、活動を行う為の資金や知識が無いなどの様々な課題により、取組が進まない事例が存在
しています。
本事業をきっかけにして、佐倉市の自然や文化について関心を高め、郷土愛を育み、ひいては「自助」「共助」の力を向上させる取
組として、一歩を踏み出す一助となれば幸いです・・・。




